8月8日 未来を生きる子らの像(ふりそでの少女像)碑前祭が行われました

8月8日 未来を生きる子らの像(ふりそでの少女像)碑前祭が行われました

今年もふりそでの少女碑前祭が行われました。

開催日時:令和6年8月8日(木)午前8時~
開催場所:長崎原爆資料館屋上庭園

また、8月10日迄、像の前にて語り部活動を行っています。

 

「未来を生きる子ら」

未来を信じ、未来に生きる若者として、戦火の中で傷つき苦しめられたアジアの人々に、そして、平和を愛し戦争のない世界を願う全ての人々にこの像を捧げたい。戦後50年の春、「悲しき別れ-荼毘」に描かれた少女の一人、福留美奈子ちゃんの母、志なさん(93才、京都府綾部市在住)の「長崎に平和を祈るお地蔵さんをたてたい。」という願いをつづった一通の手紙が綾部中学校生徒会に届いた。原爆にわが子を奪われた母 の思いを祈り鶴に込めて、ヒロシマへ修学旅行に行く私たちに託し続けてこられたおばあち ゃん。過去の歴史と現実について学んできた私たちの胸に、おばあちゃんの願いは強く響いた。 その願いをかなえたいと、中高生の仲間、父母、先生、地域の人々が集まり「長崎にふりそで の少女像をつくる会」が生まれ、募金活動が始まった。「像をつくって終わるのではなく、そ こから世界へ平和を考える輪を広げたい。」そんな私たちの思いに共感して下さった全国の方 々の支援と、像制作にたずさわった多くの方々の熱意と努力によって、像は完成した。核兵器 のない自由で平和な世界を願い、ナガサキから世界の青空へと舞い上がる二人の少女によって 人々の思いは一つに結ばれた。
この像がつくられた道のりこそ、平和な未来をつくる真実の道だと私たちは確信する。

1996年3月31日 長崎にふりそでの少女像をつくる会

福留志なさんは、2009年(平成21年)11月29日、107才で永眠されました。

 

悲しき別れ一荼毘

けが人や死体には驚かないようになっていた私が、忘れ得ない情景を見たのは8月19日のこと でした。爆心地より約4キロメートル、滑石の打坂というところの畑の中で、2人の少女が積み上げられた 木材の上に寝かせてありました。10歳前後で、私は姉妹であろうと思っておりました。あの頃 見たこともない立派な着物を2人とも着ており、先ずその着物のあまりの美しさに私は我を忘れ て見とれていました。顔をみるとどこにも傷の跡は見られず、薄化粧がしてあり、その顔の美し さにも息をのんで見ました。死んではじめて着せられた晴着、死んではじめてされた化粧、周囲 の心遣いが逆に何とも哀れでなりませんでした。何と悲しいことであろうかと思いました。私に とっては強烈に印象に残った情景であり、その悲しい物語を残そうと、あの時とても美しい着物 は表現できませんでしたが、29年後1枚の絵に描きました。

松添 博

松添博(まつぞえ ひろし)さんは、2014(平成26)年4月13日、83歳で永眠されました。

 

ふりそでの少女像をつくる会 https://furisode.org/

ふりそでの少女像(正式名称「未来を生きる子ら」)の碑文には、「像をつくって終わるのではなく、そこから世界へ平和を考える輪を広げたい。」とあります。この会はその言葉を大切に平和を紡ぐ活動をずっと続けています。

像が建立されてから毎年8月8~10日に像の前で語り部活動を行っています。また、活水高等学校・中学校平和学習部の生徒たちが中心になり7日に像のそうじ(2004年から)、8日には碑前祭(2005年から)を行っています。また節目の行事を綾部と長崎で実施しています。